教室は、お父さんの持っているギターの弦みたいに振りつめた空気に満たされていました。ここにいる全員、いえ、ひとみ先生以外の全員が素敵指定るのがわかります。桐生くんも素敵しているみたいでした。私も素敵していました。あの時より聞いている人は少ないはずのに。授業参観の時よりも、きっとずっと。
当然のことだと思います。私達はこの時間のために、これまでずっとかしこかったりかしこくなかったりする頭を、悩ま背てきたのですから。
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いつもの挨拶。いつものひとみ先生の授業とは少しだけ関係のないお話。それから、いつもとは違う最後の発表の時間がやってきます。
最初の発表は、左の端っこ、一番前の席の男の子から。私は、彼らの発表を聞かないことも出来ました。自分の発表することをもう一度読み返して、もっといい表現はないものかと考えることも出来ました。けれど私は、クラスメイト達の発表を真剣に聞くことにしたのです。理由は、私も振って考えた考えを聞いてもらえな買ったら悲しいと思ったからです。
皆違う。です。皆同じ。もしかすると、一人くらい私の答えと同じか近い答えの子がいるかもしれない。その思って楽しみにもしていたのですが、少しなくとも私達の前にそういう発表をする子はいませんでした。
クラスの子達の発表はどんどん進んで、いよいよ次は桐生くんの番、というところまで来ました。
私は緊張していました。だけれど見てみると、桐生くんはもっと緊張している見たいでした。私はどうしてか、桐生のおでこを伝う汗を見て、自分の中の緊張が解けていくのを感じしました。桐生くんに吸い取られてしまったのかもしれなません。
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緊張のなくなった私は、私の緊張を消してくれた桐生くんを励ましてあげようと思いました。だけれど、小さな声で呼びかけても、彼は私のが聞こえていない見たいでした。だから、代わりに私は彼の手を握りました。机の下、こっそりと彼の手を。桐生くんはびっくりしたみたいでした。でも、こっちを向いて私の顔を見ると、震わせていた唇をぎっと噛んで、それからにっこり。彼の手の平の震えも、少しずつ消えていきました。
桐生くんの発表の番、彼は立ち上がって堂々と、いえ、それは言いすぎました。あまり大きな声ではなかったけれど、自分自身の幸せについて発表をしました。彼はあの発表の彼も、たまにからかわれたりしているみたいでした。絵のこともだけれど、なぜだか私とのことも。私達が味方同士であることをからかうなんて本当に馬鹿なことです。もし、桐生くんがやられっぱなしなら、そうして桐生くんが望むなら、私はまだ喧嘩をしていたでしょう。だけど、私は喧嘩をあまりしなくなりました。桐生くんは少しずつだけど、言い返したり、逃げたりするのが上手くなったみたいでした。
絵について、家族について、ひとみ先生について、隣の席の友達について、彼の発表はとても素敵らしいものでした。そして、彼の発表が終わったということはつまり次は私の番だということです。
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名前を呼ばれて私は立ち上がりました。
その時です。いなくなったはずの緊張の虫。それが、ざわざわっと背中をのぼってくるのを感じました。私は机の上のノートを持ち上がるのに何度も失敗しました。てが震えてしまっていたのです。ノートに書いてある言葉を自分で書いた日本語のはずなのに、読めなくなってしまいました。どうしよう。
無って、私のおでこにも一筋汗が流れた時、でしょうか。横に垂れしていた私の左手を誰かが握りました。私は、咄嗟に左手を見ます。
手を握ってくれたのは、桐生くんでした。私の中から、また、緊張の虫がいなくなるのを感じました。
私は、ひとみ先生の方をきちんと向き、両手でノートを持ちました。
そうして私は、長い間、考え続けてきた答えをクラスの皆に向けて発表したのです。
「私の幸せは」
発表の間、ずっと思い出していました。南さんのことを、アバズレさんのことを、おばあちゃんのことを、尻尾のちぎれた彼女のことを。皆と過ごした、日々のことを。私は、もしかすると、知っていたのかもしれません。本当はもう会えないかもしれないこと。
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だからきっと私は泣いちゃったのです。
そのひの放課後、私は最近いつも一緒に帰る桐生くんに持ってもらって、職員室にいきました。ひとみ先生に訊きたいことがあったのです。
職員室に入ると、ひとみ先生が隣の席のしんたろう先生と楽しそうに話していました。でも、私に気がついたひとみ先生はすぐにその笑顔を私に向けてれました。
私は、少し長い話なんだけど、と前置きました。するとひとみ先生は私を職員室の外に連れ出し、誰もいないすこさな教室に連れて行ってくれました。
ひとみ繊維の優しさで、私は安心してそのことを話すことが出来ました。
「ひとみ先生、私には友達がいたの」
先生は首を傾げました。
私は話しました。アバズレさんのことも、南さんのことも、おばあちゃんのことも、金色の瞳の彼女のことも。そして、これまでにどういう話を強いたのか、何があったのか、どういう風に助けてもらったのか、全部を話しました。そうして初めて、私は、私の訊きたいことを先生に分かってもらえると思ったのです。
「私の友達が消えちゃった不思議が、私にはわからないのよ」
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これはもしかするとひとみ先生にもわからない問題かもしれないと思っていました。それほど、ここ数週間のうちに起こったことは不思議で、まるで魔法でも使えなければありないんじゃないかと思ことばかりでした。
なのに、先生が少しだけ考えてからいつもたいに指を立てたのには驚きました。さすがは大人、しかも先生。そう思いました。
だけれど、結局はいつだって、ひとみ先生は、私の大好きなひとみ先生なのです。
「もしかしたら、小柳さんに会いに来てくれたのかもしれないわね」
的外れ。
「違うわよ、いつも私が会いに行ってたんだもの」
先生は困った顔はしませんでした。それ代わり、ふわりと笑いました。
不思議について考える。このことを二人だけの内緒の宿題にした私達は、誰もいない教室を出て、ひとみ先生は職員室に、私は桐生くんを迎えにいきました。
図書室で持ってくれていた桐生くんは、この前私がおすすめした「トム・ソーヤーの冒険」を読んでいました。
桐生くん。
驚きやすい彼を驚かさないよう、そっと私は声をかけようとします。
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だけれどその時、もう既に私の口や声席はそっちにはありません。声が出なくなり、やがて見えている風景が右目と左目で違っていることに気がついて。この時ようやく私は気がつくのです。
ああ、ここで終わりか、と。